明るく積極的=⭕️、内気で引っ込み思案=✖️は大間違い!

内気で引っ込み思案って素晴らしい♪ 読んだら納得の気質学。

みんな間違っている個性の仕組み?!

 

テレビを見ていて、時たま腑に落ちないことがあります。

 

それは有名人の幼少期を紹介する場面で、
「小さい頃は内気で引っ込み思案だったのですが、今ではそれを克服し、すっかり明るく積極的になりました♪」なんて言うことです。

 

この言い方では内気で引っ込み思案は克服すべき欠陥のようです。
まるで明るく積極的が良くて、内気で引っ込み思案は悪いみたい。

 

それはテレビだけでなく世の中がそう信じて疑っていない感じです。
だからそんな言い回しが許されるのです。

 

しかし本当にそうなのでしょうか?

その当たり前のような言い回しが、どれだけ内気で引っ込み思案の子供達を傷つけていることでしょう。

 

内気で引っ込み思案とは、慎重で謙虚という長所とも取れます。
逆に明るく積極的とは、軽薄で厚かましいという短所とも取れるのです。

 

内気や引っ込み思案とは個性です。
個性に上も下もありません。

 

個性(特徴)というのは、必ず長所と短所の表裏一体です。
それは「人には必ず長所もあれば短所もある」という意味ではありません。
個性(特徴)とは見方によって長所であり短所でもあるという意味です。

 

つまり長所と短所の二つの個性(特徴)があるのではなく、
一つの個性(特徴)が長所と短所の表裏一体なのです。

そのことを気質学に当てはめてご紹介したいと思います。

 

さらに、「明るく積極的」の短所。

「憂鬱質の子供の育てかた」についても少しだけご紹介します。

 

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気質学とは

気質学とはヨーロッパに大昔からある統計学のようなモノで、人の気質には
「多血質(たけつしつ)、胆汁質(たんじゅうしつ)、憂鬱質(ゆううつしつ)、粘液質(ねんえきしつ)」の4種類があって、それらが複雑に混ざることで個性を形成していると考えるモノです。

その4種類はちょうど色の4原色と同じでそれぞれに特性が異なっていて、それらが混ざることで無限に個性が生まれます。それこそ人の数だけ混ざり方があるといえます。


それぞれの気質の特性を知り、どの気質がどの程度混ざっているかを知ることで、その個性との付き合い方を探るというモノです。


明るく積極的とは気質学でいうと、多血質、胆汁質が当てはまります。

逆に内気で引っ込み思案は、憂鬱質です。(粘液質はマイペースで大らかが特徴なので、どちらにも当てはまりません。)


そこでまずは憂鬱質の特徴について紹介します。

 

 

憂鬱質とは


憂鬱質はいわゆる石橋を叩いて渡るタイプと言えます。
全てを疑いじっくりと考えて答えを出してから行動に移ります。
つまり慎重なのです。


このタイプはその慎重さ故に、物事をとても複雑に捉えています。
物事とは見る立場や、見る尺度によって大きく見え方が違うことを直感的に知っています。


だから、いろいろな角度から検証し確かめてからでなければ答えを出しません。
反射的、衝動的に判断したり行動したりすることがとても苦手です。


この慎重さこそが、内気で引っ込み思案という個性そのものと言えます。

 

 

雑談が苦手&議論とスピーチが得意

 

このタイプは往々にして、雑談が苦手だったりします。
雑談とはいわば言葉のキャッチボールです。 
瞬間的に言葉を投げ返す必要があります。

憂鬱質はその慎重さゆえに、瞬間に反応することが苦手です。
だから雑談が苦手なのです。


雑談が苦手ということは、コミュニケーションが苦手とも言えます。

自分が話し始めても、相手がどんな返答をするかはわかりません。
突拍子も無い返答が返ってくるかもしれません。
いきなりボケたりするかもしれません。


つまりコミュニケーションとは前もって準備することが出来ない乱打戦みたいなモノなのです。
そうした瞬間に反応することが求められる乱打戦が憂鬱質は苦手なのです。


特に初対面の人とのコミュニケーションが苦手です。
気心の知れている相手ならある程度返答を想像することができます。
しかし初対面の人の場合は難しい。


だから憂鬱質は大抵人見知りです。

 

しかし、なんでもない世間話のような雑談は苦手ですが、議論となると別になります。
憂鬱質は議論が得意です。
持ち前の深くて鋭い洞察力の見せ所です。
どの気質よりも深くて鋭い意見を言います。


普段の物静かな様子が一変します。
他の人の意見の矛盾点に誰よりも先に気づきます。
そして鋭く指摘します。


それだけ普段から物事を深く観察しじっくりと考えている証拠なのです。

 

更にスピーチも得意だったりします。
スピーチは最初から自分が喋る時間が用意されていて、そのために前もって準備することが出来ます。


誰かが途中で話題を変えてしまったり、急にボケを挟まれたりしません。
自分の視点で、自分のペースで話すことが出来ます。


憂鬱質はその慎重さから物事を深く観察することが得意です。
他の人とは違った目線で、しかも様々な視点に立った分析が出来ます。


そしてその深くて鋭い観察眼から見えたモノを丁寧に表現する根気強さも備わっています。


だからとても興味深い、そして内容の濃いスピーチをすることが出来るのです。

 

しかし大抵の人はスピーチなんて滅多にする機会がありません。
難しい議論も敬遠される場合が多いのであまりする機会がないかもしれません。
つまり憂鬱質の人が身につけた長所をアピールする場はあまり無いのです。


そのためこのタイプの人は「喋らなくて、消極的で、面白くない人」のように思われたりします。


そして本人もそう思っていたりします。

 

 

憂鬱質は自己評価が低くなりやすい

 

憂鬱質の人は全てを疑っています。
その慎重さこそが憂鬱質の長所なのですが、その疑念の矛先は自分自身にも向けられています。
憂鬱質は自分すら信じていない。つまり自信がないのです。


そこへ来て「明るく積極的が良くて、内気で引っ込み思案は悪い」みたいな社会の風潮がその疑念を助長します。
「内気で引っ込み思案な自分はダメだ」と思ってしまいます。


さらにスピーチや議論の上手さといった長所は、特別なポジションにいなければ発揮するチャンスがなかなかありません。


だから、自分自身もその長所に気づき辛いのです。
自分の欠点ばかりが目に付きます。
そのため自己評価がとても低くなるのです。

 

参考ブログ:低い自己肯定感(自尊心)を高める画期的な方法

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明るく積極的=⭕️、内気で引っ込み思案=✖️は、今だけ?!

 

明るく積極的が良くて内気で引っ込み思案は悪いと、今は誰もが信じて疑っていません。
しかしそんなのはただの時代の流行りかも知れないのです。


私の祖父の時代は「真面目で無駄口を叩かない人が良し」とされていました。
それが今では芸人みたいにペラペラよくしゃべる、面白い人が評価されます。


想像するに祖父の時代は第一次産業が主流で、黙々と仕事をする人が求められていたのに対して、今では第三次産業が主流です。
だから何処もかしこもコミュニケーション能力、コミュニケーション能力・・・。


つまり時代が変わったため求められる人物像が変わっただけで、絶対の価値観ではないのです。


次の時代になったらまた求められる人物像が変わるに違いありません。
そんなコロコロ変わるものに合わせて自分の性格なんて変えられません。

 

 

内気で引っ込み思案は社会に必要な存在です

 

内気で引っ込み思案とは慎重にじっくりと考察する特徴といえます。
そして、もしこのタイプがいなかったら世の中は大変です。
暴走してしまいます。


憂鬱質は権力が暴走しないように監視する役割に向いています。
危機管理の視点ではこのタイプは不可欠なのです。


しかし今はこのタイプが軽視されているように見えます。
それだけ日本は平穏なのだと思います。
いわば現代は憂鬱質不遇の時代なのかもしれません。
もっと危うい時代ならば状況は違がかったかも知れません。


例えば「後楽園」という名前の由来です。
後楽園とは「本当に尊敬すべき人は、憂(うれい)ごとを誰よりも先に憂。楽しみごとを誰よりも後に楽しむ。」という内容の中国の詩が元になっています。

この特徴はまさしく憂鬱質の特徴そのものです。
「後楽園」と名付けられた時代には、とても慎重な人物が尊敬すべき人とされていたのです。
きっとそれだけ危うい時代だったのだと思います。


現代は平和です。
しかし今がどんなに平和だとしても先のことは分かりません。
この平和がこの先も続いてゆくためにも、憂鬱質の深くて鋭い洞察力は欠かせません。
憂鬱質の役割はいつの時代も重要なのです。

 

 

多血質の短所

 

逆に明るく積極的という個性にも欠点があります。
明るいというのは多血質の特徴であり、
積極的というのは胆汁質の特徴です。
だから明るく積極的とは、多血質と胆汁質の中間といえます。


多血質の特徴は何といってもフットワークの軽さです。
憂鬱質の真逆の気質にあたります。楽しいことが大好きです。
いつもふわふわと浮いているように、軽やかに世の中を渡って行きます。


その特徴から軽快な言葉のキャッチボール(雑談)が得意です。
瞬間に反応する軽快さがあります。明るいです。ムードメーカーです。


このようにとても愛される素晴らしい気質ですが、短所も沢山あります。


フットワークが軽いということは注意力が散漫ということです。
常に注意が移動してしまうため物事の浅いところまでしか見えていません。深さがありません。


スピーチが苦手です。物事に対する洞察が浅いため話す内容が見つからないのです。同様に文章を書くことも苦手です。


興味が刻々と移り変わってしまうため一つのことを極めることが苦手です。


また楽しいことが好きということは、逆に辛いことや深刻なことが嫌いと言えます。
だから我慢が苦手です。


辛いことがあるとギャンブルであったり、お酒であったり、異性であったりに逃げてしまいます。


そうしただらしないトラブルを抱えがちなのもこのタイプです。


不真面目に見えます。軽薄に見えます。いい加減に見えます。

 

 

胆汁質の短所

 

次に胆汁質ですが、このタイプは物事を直感で判断するタイプです。
憂鬱質のように複雑に考え込んだりしません。
しかもその直感に確信を持っています。
だから決断力、行動力に長けているといえます。


このタイプは自分をしっかりと持っていて、自分の物差しで世界を見ています。
物事がとてもシンプルに見えています。
だから、決断が出せるのです。
しかもシンプルなので出した決断に強い確信を持つ事ができます。


強い確信が持てるから強い行動力が生まれます。
そうやって果敢に行動し続けるので、結果も伴ってきます。
リーダーに向いています。
ドッシドッシと障害物をなぎ倒しながら突き進むとてもたくましいイタイプといえます。


頼り甲斐のあるとても素晴らしい気質ですが、短所も沢山あります。


このタイプの強さは信念をしっかり持っていることから生まれています。
しかし逆にいえば、その信念でしか物事を見ることができないともいえます。


物事は見る立場や、見る尺度によって大きく見え方が違うのだということが正確にイメージできません。複雑な世界を複雑に捉えることができません。


もっと言えば自分が見えていないことにすら気づいていません。
気付こうとすらしません。
それくらい自分の信念に絶対の自信があるのです。

 
そのため、自分の物差しで物事に白黒をつけたがります。
大抵のことは「白黒つけられない」「そんなに単純ではない」ということが分からないのです。


この特徴から生まれる最大の問題は「怒り」です。


人に強く怒りをぶつけるというのは、余程の確信がなければ出来ません。
ちょっとでも「相手の立場から見たら違って見えるのかも? 自分がわかっていないことがあるのかも?」なんて疑念が湧くようなら強く怒りなんてぶつけられないのです。


しかしこのタイプはそうした疑念があまり浮かびません。
だから頻繁に確信を持った強い怒りを人にぶつけます。
ぶつけられた人はとても不愉快な思いをします。
しかし不愉快な思いをさせた張本人は全く悪いとは思っていません。
なぜならば「自分は怒って当然の場面で怒っただけだ」と信じて疑っていないからです。

独善的です。傲慢です。暴君のように見えます。


本人は自分の信念に基づき後悔のない充実した人生を送ることができるかもしれません。しかし周りの人はたまりません。
周りの人に辛い思いをさせるこの特徴は紛れもなく短所です。


よく「自分を信じなさい。自分を信じれば自ずと道は開ける。」などと言いますが、社会の一員という視点から見ると、自分を信じすぎるというのも困りモノなのです。

 

「自分を信じる力が強い」という特徴は、「自分を疑う力が弱い」という特徴でもある。つまり長所と短所は表裏一体なのです。

 

 

個性とは一長一短

 

つまり明るく積極的という性格も、見ようによっては短所と言えます。
内気で引っ込み思案という性格も、見ようによっては長所と言えるのです。

憂鬱質は多血質や胆汁質の弱点をカバーできる存在です。
多血質の浅いところをカバーし、胆汁質の短絡的なところをカバーします。


考えてみてください。もし世の中が多血質や胆汁質の集まりだったら大変です。
強い信念と適当なノリで世界は暴走するに違いありません。
それを食い止めることができるのが憂鬱質です。


つまり個性というのは役割なのです。
アクセルの役割を担う人も必要だし、ブレーキの役割を担う人も必要なのです。


アクセルが善で、ブレーキが悪とは言えません。
両方が揃っていて初めてうまく機能するのです。


同様に明るく積極的が善で、内気で引っ込み思案は悪とは言えないのです。
両方が揃っていて初めて社会はうまく機能するのです。


このことを特に知っておかなければならないのは、小さなお子さんに接する機会のある人です。

中でも教師、そして親は知っておかなければなりません

 

 

憂鬱質の長所はなかなか見えません

 

人には幼いうちから個性があります。
明るい子、元気な子、マイペースな子、内気な子・・・。
色々います。

つまり持って生まれた気質があるのです。


例えば多血質の子は、幼いうちからとても明るいです。
人懐っこく誰とでもすぐ仲良くなれます。
このタイプの長所は分かりやすいです。


胆汁質の子は、幼いうちから意志が強いです。
負けず嫌いです。パワフルです。
このタイプの長所も分かりやすいです。


粘液質の子は、幼いうちからマイペースです。
大らかです。優しいです。このタイプも分かります。


そして憂鬱質の子ですが、
憂鬱質の持って生まれた長所は慎重であることです。
この慎重さのおかげで大人になる頃には思慮深さを身につけます。
深くて鋭い洞察力を身につけます。
一つのことを極めているかもしれません。


しかし幼いうちは幼いがゆえにそれらの長所がまだ備わっていません。
思慮深さや、洞察力という長所を発揮するまでには、まだしばらく時間がかかるのです。


幼いうちに見えるのは、とにかく臆病で消極的で泣いてばかりいるというとても弱い印象の特徴です。欠点ばかりに見えます。


この特徴を見た親は
「こんなに弱虫ではいじめられてしまうのでは?・・・」と心配になります。
それが男の子ならなおさらです。


だから「もっと強い子に育てなければ」と考えるのです。


「お前はもっと強くならなければダメだ」と厳しく叱りつけたりします。
メソメソ泣くことを許さなかったり、消極的であることを許さなかったりします。


しかしこれは大きな間違いです。完全に逆効果です。


「お前はもっと強くならなければダメだ」と言われた憂鬱質の子供は「自分は弱くてダメなんだ」と考えます。

しかも持ち前の慎重さで「どうしてダメなんだろう?どこがダメなんだろう?何がダメなんだろう?」と何度も繰り返し自分に問いかけます。

つまり、一度言われただけでも、何十回、何百回も言われたのと同じくらい深く傷ついてしまうのです。

そうやって大人になる頃にはすっかり自分はダメ人間だと考えるようになります。


強く育てるどころかスッカリ自信のない、ビクビクオドオドした人間が出来上がります。


他の気質に変わることもできず、かといって憂鬱質の長所を伸ばすことも許されないまま、劣等感で一杯の大人になってしまいます。

こんな不幸なことはありません。

 

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憂鬱質はそのままで素晴らしい♪

 

「お前はもっと強くならなければダメだ」と言うことは、
「お前はダメだから、別の子になりなさい」と言っているのと同じです。

それは朝顔に向かって「朝顔じゃダメだから、ヒマワリになりなさい」と言っているようなモノなのです。


朝顔は何をしようとヒマワリには変われません。

そしてそもそも変わる必要なんて無いのです。
なぜならば朝顔には朝顔にしか無いすばらしい長所が沢山あるからです。


同様に憂鬱質には憂鬱質の長所がいっぱいあるのです。
何も強くてたくましい胆汁質に変わる必要なんてないのです。
明るくて人気者の多血質に変わる必要なんてないのです。

憂鬱質は憂鬱質のままで素晴らしい
のです。


憂鬱質の子はその一見弱いとしか見えない特徴があるおかげで、将来他の気質より思慮深くなれるのです。
深くて鋭い洞察力が身につくのです。


だから「憂鬱質のままで素晴らしいのだ」と教えてあげることです。
そうやってありのままを認めてあげるのです。
そうすることでビクビクオドオドせずに自信を持って強く生きて行けるようになるのです。

 

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そのことを親や教師は知っておかなければなりません

 

 

真面目は短所?

 

憂鬱質の子供は幼いうちには短所ばかりが見えると書きましたが、「真面目」という長所は幼いうちからハッキリと見えます。社会のルールに従順です。

 

しかしどういうわけか現代では真面目が長所と捉えられていない傾向があります。
むしろ「つまらない人」とか「弱い人」のように考えられていたりします。


これは全くおかしな考えです。


人が社会で生きてゆく上で、社会のルールに従うということはとても重要な条件です。
ここを軽視するべきではありません。


ここだけはどんな気質の人にも必ず守ってもらわなければ困ります。
「ルールに従わないのも個性」とは認めるわけにはいかないのです。

その点憂鬱質の子供は心配が少ないタイプと言えます。
これはとても重要な長所です。

憂鬱質の子供は社会の一員であるための重要な条件を、そもそも兼ね備えて生まれたといえるのです。


逆に多血質や胆汁質はその点が危うかったりします。

多血質は、めんどくさいことが嫌いです。窮屈なのも嫌いです。
又社会のルールを軽く見る傾向があります。
だからいい加減な気持ちでルールを破ったりします。

多血質の子供を育てる場合にはその点に注意する必要があります。


次に胆汁質ですが、胆汁質の子供は正しく育てればルールに従順です。
むしろルールに従わない人を取り締まる役割も果たせます。


しかし育て方を間違えた場合に、反社会的な問題行動や凶悪犯罪を犯すのもこのタイプです。


多血質のように軽い気持ちでルールを破るのではなく、強い意志を持って反社会的な行動をとるのです。

これは社会にとって大変な脅威となります。


胆汁質の子供を持つ親はくれぐれもその点に注意しなければなりません。

 

 

全ての気質を肯定する世界へ

 

視野というのは 、
広く見ようとすると、おのずと深さが奪われます。
深く見ようとすると、おのずと広さが奪われます。


これは普遍的な法則です。一長一短なのです。

広い視野が良くて、深い視野が悪いなんてことはありません。
その逆もありません。どちらも同じくらい重要なのです。

 

内気で引っ込み思案は克服すべき欠陥ではありません。
それは明るく積極的という個性と同様に素晴らしい個性なのです。
どっちが上でどっちが下というものではないのです。

 

内気で引っ込み思案という個性を持って生まれた子供たちが、負い目を感じることなく自信を持って生きて行ける。そんな世の中を作る必要があります。


憂鬱質の子供はその慎重さゆえに自分自身をも疑ってしまいます。
特に今のように「明るく積極的が良くて、内気で引っ込み思案は悪い」みたいな考え方が支配している世の中ではその傾向が強まります。


憂鬱質の子供と接する機会のある人は是非、その子が持ち合わせた憂鬱質の特徴を褒めてあげてください。

 

内気を否定したり消極的を批判するのではなく。


慎重であること、謙虚であること、真面目であることを褒めてあげてください。

そして大人になる頃にはその慎重さのおかげで、
きっと思慮深い人になるに違いないと教えてあげてください。
深くて鋭い洞察力を持った人になるに違いないと教えてあげてください。


世間で言われている「明るく積極的が良くて、内気で引っ込み思案は悪い」なんて全部嘘なんだと教えてあげてください。
稚拙な偏見でしかないのだと教えてあげてください。

自分自身を信じる強さを与えてあげてください。
自分の長所をしっかりと自覚した人に育ててあげてください。

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そうすることが、彼らを幸せにするだけでなく、
社会全体の大きな利益にもつながるのです。